一期一会の出会い

今日古本屋に行ったら、私がここ最近探していた本が売っていました。しかもシリーズセットです。嬉しくてすぐに胸に抱えてしまいました。ちょうど読みたい本を見つけたときは、心がうきうきします。スキップなんて大人になってそうしませんが、飛び跳ねたくなる、そんな感じです。今読んでいる恋愛小説を読み終えたら、次に読むことにしましょう。ああ、すごく楽しみです。でもこのシリーズ、実はもう完結しているんですよね。この本を読んだら終わってしまうのかと思うと、とてもさみしいです。読めてうれしいのに終わってほしくないなんて、わがままな子供みたいですね。
でも仕方ないと思うんです。誰だって、楽しみはずっと続いてほしいものですから。まあ、このシリーズが終わったら同じ作家さんの別のお話を読むことにしましょう。まだまだ元気に書いている方ですから、その方の本自体が終わることは、当分ありませんもの。日本にどのくらいの本があって、一生にはどれだけ読めるんでしょうか。どれだけ素敵な本に出会えるんでしょうか。人も本も、出会いはタイミング。一期一会。一生かかって素敵な本を発見していきたいです。そしてすこしでも多くの人にお勧めしたい。読書って、楽しいですよって言いたいです。

架空の職業、夢みる大人

山を覆い隠すのは、霧なのか雲なのか。わからないくらいに辺りは真っ白でした。太陽など見えるはずもなく、重い雲が全てを覆った曇り空。その中を運転し会社へ向かっていたのですが、不意に、魔界の入口みたいだ、と思いました。最近、閻魔大王の出てくる話を読んでいたからかもしれません。真っ暗な地の底にある黄泉の国。その入口にいて、人間の罪を裁く閻魔大王。本を読むとすぐに影響されるのが私の悪いところです。小さな子供がアニメのヒーローに憧れるように、私もすぐに話の中の世界に浸ってしまいます。読んでいる本がファンタジーが多いものですから、大抵は現実にはいるはずもない職業の人たちです。それは最強の剣士だったり、無口な魔法使いだったり、見事な歌い手だったり。しかもそれを母に話すものですから、母はいつも苦笑しています。「頭の中がファンタジー」なんて言うんですよ。でもかっこいいじゃないですか。一振りで魔物を退治する剣士や、寡黙なのに力があって信頼されている魔法使いや、美人で綺麗な声の歌い手って。力づよく反論したら「いや、そういう問題じゃなくってね。大人は普通そういうこと言わないから」……そうですよね。でも大人だって子供みたく夢を見たっていいと思いますよ。私はね。

二人の『スプーンおばさん』

図書館で偶然見かけたので、スプーンおばさんの絵本を読みました。子供の頃、テレビで見ていた作品です。理由は覚えていませんが、なぜかスプーンのように小さくなってしまうおばさんの物語です。でも実際に絵本を読んで驚きました。え、こんな内容だった?おばさん、こんなこと言ったっけ?もしかしたら子供むけのアニメだから原作とはちがったことをとりいれていたのかもしれないし、私の記憶違いかも知れません。詳細はわかりません。ただ確かなのは、絵本のスプーンおばさんは、私の知っているおばさんとはだいぶ違って見えたということです。差異がどうしても気になって母にアニメのスプーンおばさんについて聞いてみましたが、覚えていないとのこと。会社の同僚も「そういうのがあったことは覚えてるけど、内容までは……」と首を横に振りました。ただ、私絵本も読んだ記憶があるんですよね。今回借りた絵本は、その記憶の中の表紙とは違うものでした。もしかしたら別の話はまた別の印象があるのかも知れないので、今度その本を探して借りてみる予定です。うっすらとしか覚えていないおばさんですが、覚えているのだから好きだったことは事実。スプーンおばさんの謎、いつか解決して見せます。

本の趣味が合わない、優しい友人

肩につくほどだった髪を、ベリーショートの長さまでばっさり切りました。耳に風があたってすがすがしい気分。鏡を見ると、まるで別人のような自分が映っていました。友人には全然違う人みたいと、母親には昔の髪型に戻ったねと言われました。小学生時代、ずっとショートカットをしていたから思い出したのでしょう。
髪を短くしたことにより気持ちは軽く頭も軽くなったくせに、でも、今軽いと思えるのはそうでない期間があったからなのだなあと思いました。私はどうして髪を伸ばしたんだっけ。ああそうか、美容院に行くのが苦手だからか。にこにこと話しかけてくる美容師さんが、人見知りの私にはとても緊張する存在なのです。待っている間は本を読んでいればいいけれど、まさかカットしてもらっているときに読むことはできないし。話しかけられたら答えなくちゃと思うし。今日は友人について行って、一緒に切りました。情けないとは思うけれども、苦手なんだから仕方がない。自分を責めるよりも、甘えを許してくれる友人に感謝です。そんな優しい彼女は読書家ですが、本の趣味がまるであいません。あれがいい、いやこっちがいいと全く別の本を読みながらも一緒に並んでいられる、もう十年以上添った友だち。素敵な存在です。

ケース入りの百科事典

冷凍庫を閉めるのを忘れてしまったらしいです。中身が全滅だと友達が嘆いていました。案外あるんですよね。うちも昔、冷凍庫の中身を全滅させたことがあります。当時はお弁当のために冷凍食品をいっぱい詰め込んでいた時期でしたから、夕食が冷食オンリーになりました。今となっては懐かしい思い出だよなあなんて。友人に同情しつつ考えていたのですが、あ、そういえば私、本棚の扉を閉めないで怒られたこともありました。当時祖父母の家にガラス戸付きの本棚があったのですが、その中には百科事典のようなものがずらっと並んでいたんですよ。誰も使ってないように見えたけれど、きっと高価なものだったんでしょう。そのガラス戸開けて中の本をひっぱりだして、なんだ、意味わからないと思って閉まって……扉を開け放ったままでいたら、怒られました。埃が入るでしょうって。ひたすら謝った記憶が残っています。でも今思えば、私の家族には読書家はおらず、せいぜい母が推理小説を読むくらいなのに、あの辞典は誰のものだったのでしょうね。他にもケース入りの本がたくさんあったんですよ。昔はそういうのを揃えるのがたしなみだったんでしょうか。だとしたら、羨ましい時代です。

プロとしての対価

「たとえ10円でも、仕事をしてお金を貰ったらプロだ」と父が言いました。私がアルバイトを始めた当時のことです。確かに私もその通りだと思います。職場には「時給が安いからこの程度でいいの」なんて言いながら働く人もいますが、やっぱりね、労働の対価としてお金をいただくからには、真面目に取り組まなくてはいけないと思うんですよね。
しかし、私にこの考えを植え付けたのは父ではありません。ずっと昔に読んだ漫画の中で、同じことを言っている人がいたのです。学生だった私は「そんなものかなあ」と思いました。だってプロという響きには、特別という印象があります。プロフェッショナルと聞けば、すごくできる人と聞こえます。でも実際働くようになって「ああ、あれは金額のことではなかったんだ」と思いました。仕事をしてお金をもらったらプロだ、という言葉の真意は、だから責任があるということだと気付いたんです。10円の仕事でも1万円の仕事でも、仕事として請け負った以上責任は同じ。会社やクライアントを裏切ってはいけないのだということ……ですよね。もう何十年も働いている父からその言葉が聞けたことを、社会人になってずいぶんたった今、嬉しく思います。そしてふらふらしていた私に言ってくれたことを遅まきながら感謝しています。

車の鍵がない!

少し前に、車の鍵をなくしました。職場の建物から駐車場まで歩いて、さあ車に乗ろうかというときに気づいたんです。バックの、いつも鍵を入れているところが空っぽだということに。「えっ?ない?」私は一瞬にしてパニックになりました。鞄の中身を右に寄せ左に寄せごそごそ探すも、目的物は見つからず。ポーチの中を見ても、いつも持っている本のページをぱらぱらしても挟まってもいないのです。何度探しても鍵はなくて、結局ボンネットの上に荷物を全て出しました。そうしても、ないんです。どうしよう、車の鍵をなくしたら誰に言えばいいんだろう。JAF?いつもの車屋さんに言っても意味ないよね。っていうか帰れないしどうなっちゃうんだろう。後は帰るだけではありますが、時間はどんどん過ぎて行きます。もうこれで最後、これでなければどうしたらいいか車屋さんに聞こう。覚悟を決めてバックの中を探し回って……結果、鍵はありました。どこにあったかって?バックの底板の下です。どうしてそんなところに入ってしまったんでしょう。本当にこんなに焦ったのは久しぶりです。以来、朝鞄に鍵を入れるときは、必ずちゃんとポケットに入れたことを確認しています。鞄の中の本を見て、こんな余計なものより鍵があればいいのになんて思ったのは、これが初めてでしたよ。そのくらい困っていたんですね、私。

中学生の頃の思い出

私の通っていた中学校は、私が通っていた当時から制服が変わっていません。純粋なセーラー服です。それを毎日懐かしく眺めているのですが、彼ら彼女らが持っている鞄にはとくに深い思い入れがあります。ショルダーにもリュックにもなる鞄が学校指定であります。それはまさに私が中学生だった頃、新しくできたものでした。それまでは皮の鞄を使っていたんですよね、たしか。でももっと荷物が入るようにとできあがったのが今の鞄でした。大きいのはいいのですが、教科書を入れると重くて重くて。肩にかかる紐が細くて、とても使いにくかった記憶があります。しかもその鞄、配られてすぐにみんなのものが壊れてしまい、改良されて再度配り直されるなんてことがあったんですよ。当時各学年10クラスあったので、相当な数だったでしょうね。業者さんも大変です。そんな中学の頃は図書委員をしていました。高校でもしていました。本が好きな人なら誰でも憧れる委員会ですが、昼休みの図書当番があるから人気がないんですよね。でも図書館のカウンターに座れるのが楽しみで、私は好きでした。生徒がいなければ本を読んでいてもいいですしね。本などどこで読んでも内容は一緒なのですが、あのカウンターで読むのはなんとも違った感覚だったのです。

朝からご機嫌!お手伝い

昨日の夜。漫画を読んでしまってベッドに入った時間が遅かった私。今日は珍しく目覚まし時計に起こされました。とはいっても家を出るまでには相当の余裕を持っています。朝からバタバタすると忘れ物や事故にもつながりますしね。でもさすがにまどろむ時間はなく、すぐに起き上がり台所へ。そこでは母がバタバタお弁当を作って……いませんでした。「寝坊しちゃった!」と、いつもならこの時刻完成間近のお弁当を、どうやら今から作るらしいのです。「いいよ、お母さんおかず作ってなよ。私おむすび握るから」簡単なお手伝いです。それくらいなら私にもできます。台所はずっと、母の世界でした。子供の頃いくら手伝いたいと言っても、母はやらせてはくれませんでした。慣れない子供がいると危ないし邪魔になる。理屈は今はわかるのですが、手伝おうとして嫌がられるのならと、私は料理をしない女の子になりました。今も料理は嫌いです。でも母に全てを任せて焦って指でも切られたらたまらないし、何より私たちのお弁当なのです。母は喜んでくれました。「本当に助かったよ、ありがとう」なんて聞き慣れない言葉まで貰って私はご機嫌です。これを子供のときに言ってもらえたら、今頃「特技は料理です」なんて なっていたかもしれないのに。あーあ残念と思いつつ、今日の夕飯何かなと母に聞くことが日課になっています。

日々の感動は心の糧

母が見ているテレビ番組に、絵手紙を紹介するコーナーがあります。小さなはがきいっぱいに描かれた果物や花は、どれもこれも美しく、その大ぶりな描き方から元気を貰える気がします。以前絵手紙の書き方なんて記事を何かで読みましたが、あれは細かく下書きをせず、いきなり筆で書くものらしいですね。見たまま感じたまま、大胆に。だからあんなに生き生きして見えるのでしょうか。もしかして、季節の物が多いのは、手紙だからかな。「今自分はこんなものが好きですよ。こんなものに感動しましたよ」なんてことを絵で伝えるために、生まれた手紙かも……なんて考えると、ちょっとロマンチックな気がします。今は感動することが減っている世の中だと言われます。割ったスイカが綺麗に赤かったこと、育てた花が見事に咲いたこと、今日の夕焼けが鮮やかで美しかったこと。日常で見る様々な、そして瑣末なことに心を動かされる方が絵手紙に夢中になるのかもしれません。でも他に……スイカがおいしかったと思える人は、あるいは料理に、花の育て方に興味がある人は庭いじりに、夕陽に見入ってしまう人は、もしかしたら写真に興味を持ったりして。日々の小さな感動は、お腹こそ膨れないけれど心の糧です。ちなみに私は文字にしたいタイプです。